Seventh Crstal 序章




自分が何者であるかなんて誰も知らない。―――J.S















その日はこの季節にしては珍しい朝からの大雨だった。
部屋中に雨音が響く。



「ご苦労」簡素な労いの声が上がる。

「――失礼しました」
その言葉に一礼して青年が部屋を出て行く。金糸に縁取られた青い神官服を着ていた。




窓に反射したその青年の背を目で追った後、軽く息をつく。
雨の日の窓景は鏡代わりに丁度いい。

雨にはロクな思い出がなかったな――ディースはそう思った。
職務室の窓から庭園の照葉樹の葉から雨水が滴るのを眺める。

白い壁に金での鮮やかだがハアザミを模した装飾がつたう柱
色の褪せた緋の絨毯がこの建造物が造られた年月を教える。
彼女一人が仕事するには広すぎる造りでだった。
ただ、その部屋には様々な本が我を効かせており、私室と言ってなんら変わりない。
寝室が隣接した造りになっている為、ついつい応接室兼職務室のこの部屋に私物を持ってきてしまう。
そうして、そのままになった物が多く、皆からディースの部屋として認識されていた。


雨が降るとわしは後悔ばかりしている…あの時からずっとそうだ。
――そう思いながら仕事に、青年が持ってきた書類に目を通してゆく。



ディース=ディープフォレスト。

闇龍との戦いにおいて生き残った数少ないエルフの一人。
腰より長い柔らかな金髪、人間より長い耳、何より外見に対して深みを帯びたエメラルドの瞳が
生きてきた年月の長さを――彼女が人間でないことを物語っていた。

その数少ないエルフが森を離れ人間達の中で暮らすには訳がある。


魔法国家アリエス――この大陸においてもっとも大きい国である。
闇龍との戦いの後、全てを失った人間達が一番最初に創った国。
大陸の海岸沿いに位置し、豊かな自然に囲まれた土地にあり、 貿易と魔法技術で経済を立てている。

その中枢に位置するアストラズ神殿。
壮大な外観は聖都に入れば嫌がおうにも目に入る。
幾重にもよる増築から、3つの建造物が連なった大規模な構造になっている。
元は神を崇める為に造られながら、闇龍との戦いでは前衛の砦として機能していた。
そして再び神を崇める為にその傷跡は修復され面影はない。その巨躯だけがその戦いのすさまじさを物語る。
彼女――ディースはこの国の建国時から一番権力のある地位、三司祭の一人だった。


戦後、エルフ達が森へと姿を消す中、彼女だけが人々の建国を手伝い、司祭の座に就いたのは
尊ぶべき友人達との約束のためだった。

その友人達も闇龍との戦いで死んでしまった。


あの日(友を失った日)も雨だったな」

…不意に呟く。
口に出したところで感慨にふけるしかないというのに。
雨は嫌いではない。元来、自然より出でたエルフは天の恵みである雨が嫌いなはずはないのだ。
ただ、思い出させるものが多い。人より長く生きるのだから――よくも悪くも。


もはや彼女を縛るものなどないのに――


それでも、ここにいることを選んだのは「人間が好き」なんだからだと思う。










夜も更けた頃、雨がやんだ。

何時の間にか気が付いた時には雨音はしなくなっていた。静寂が支配し始める。
決まった時刻に回ってくる警備兵の足音だけが廊に響く。



カーテンの隙間から双子月の淡い光が差す。
仕事も一段落つきくつろいでいる時だった。 一人の少年がディースのもとを訪ねて来たのは。

扉の隙間から影が落ちる。


「や、悪いとは思ったんだけどさ」

軽く右手を上げていつものように気慣れた挨拶をして扉から部屋に入ってくる。


客は意志の強そうな緑色の瞳をしているが右目は前髪のせいで見えなかった。
肩よりやや長い茶色い髪を無造作に後ろで束ねている。外見よりも動きを優先したような結い方。
いつもと同じ旅装束で――各地を旅しているせいか服装に統一感はなく、
初めて会った時から身に着けている草色の布を頭に巻いていた――この神殿には不釣合いである。
ディースは彼の気兼ねしないそんなところが好きだった。

そして、背負った大剣。鞘の中で眠りについているにも関らず存在感を出す。
神殿の中にありながら、より神聖により神秘に近いものを感じさせる荘厳さ。

粗雑な旅装束の彼には少々不釣合だ。それ以上に彼が扱うには大き過ぎる。
だがそこにあるのが当然の様にそれは彼に従順に従い、牙を収めているのだ。
それがなおのこと、見る者の目を引くのだろうか。





「こんな遅くに何のようだ?謁見の時間はとっくに過ぎてるだろう?」
ディースが幼い友人に冗談と皮肉をこめて返す。その声にはくっくっと笑い声が混じる。

「中途半端に名が知れてると色々とメンドーでさ」
少年も遥かに年上の友人に笑いながら冗談で返す。

相変わらずのリアクションにため息を吐きながら解りきってる問いをする。
「衛兵達はどうした?」

「窓から入ってきたから」
両手を頭の後ろで組み、悪びれる様子もなくケロっと言った。


仮にも魔法国家と呼ばれる国の神殿――中心部であるにも関わらず、
それを意図も簡単にこの少年は入ってきたと言う。
かっては要塞としてすら機能していたのに。

少年がこの神殿に来るようになってから、幾度となく正門を通らずに入ってくる。
神殿に不法侵入ともなるとそうそう罰も軽くはない。それでもこっちの方が早いからと何処からともなくやってくるのだ。
その度に何処の警備は甘いだのあの窓は死角になるだのと忠告していく。
忠告を受けては警備の位置を修正し、配置を変え、それでもなお死角から入ってくるのだから、
よくそんな隙間を見つけてくるものだと感心させられる。




そして急に真面目な顔をして――



「あなたには世話になったから」



やや沈黙が流れ…先にディースが口を開く。

「――では、やはり行くのか?」

「ああ、そのつもりで挨拶に来た」
少年はいつもの笑みに戻っていた。


背中の剣に目だけを向けて、言う。
「――剣が教えてくれたんだ。
昔何があったのか……これから何が起こるのか……俺が何を成すべきなのか




――それから…闇龍が復活することも」




ディースは目をつぶった。


その言葉は世界を暗転させる。



彼が羊飼いであったなら。嘘であったなら。
それでもいつか真実は追いつくのだから無駄な願望だ。


あの戦いを知っているディースにとってそれは解っていたことだった。
封印は完全な物ではない。いずれ綻びる。
再び、闇龍が侵食してくるのだ。この世界を。
ディースはそのことを知る数少ない人物だったから人こそ、この世界に残っていた節もある。

ただ――人間にとっては長すぎる時間によって薄れてしまった真実だった。
危機感だけでは人々は草臥れてしまう。平穏と言う時間は度が過ると感覚を麻痺させる。
どれほどの者が耳を傾けるだろうか。笑止に伏せる?道化の言葉だと耳すら傾けない?
怯えうろたえるならまだいい。
これから起こり得る悪夢を杞憂だと矮小に捕らえるなら、起きてからでは間に合わないのだ。

そしてまたディースにとっても忘れてしまいたい真実であった。
永遠にこの時が来なければいいと、どんなに願ったことか。

対策を立てる時間がなかったと言ったら嘘になる。

権力のある地位に就き、人間達の復興を――成長を見守ってきた。
しかし――神々が去り、精霊達が姿を消したこの地に残っているのは、生き延びた人間と散り散りにされた種族だけだ。


人間達の復興力は凄いとは思うが、あの戦いより遥かに劣った魔力ではどうにもならない。
司祭の座について有能な人材を幾人も育てた。それでも人間の力はここまでだと思わされられる。

――神の封印ですら不完全だというのに何が出来ると?






闇龍を追い詰めた剣しか残されていないのを知って、


知っていて――黙って少年に剣を託した。


「弟には――」
ディースが問いかけようとして少年の声に遮られる。

「あいつには…会えないよ…決心が鈍ると困るし、
何より村を出てからろくに会ってないんだ。今更どんな顔して会えって言うんだよ」
と言って少年は寂しい笑みを浮かべる。



不意に――心の中で留めておけばいい言葉を口にする。

「わしは、お前に剣を託したことを後悔している」

己が愚劣さにずっと後悔し続けてきた。――剣を託したあの日から。
どんなに大人びた表情をしていても、全てを知っていたとしても、彼はまだ少年なのだ。
彼は不可能を可能にさせるそんな雰囲気がある。それでも彼は離れた家族を恋しむ少年なのだ。


だが、少年は優しい笑みを返すだけだった。
それが恐らく彼なりの免罪符なのだ。
何一つ言葉にして責めることなく、年不相応な笑みを浮かべる。




「…あんまり長居すると別れが惜しくなるからさ、俺もう行くよ」
そう言うとディースの言葉を待たずに入ってきた扉へ向かう。






そして扉の前で立ち止まると、
決意したように――いや自分に言い聞かせるように、


「俺は決めたんだ。何があっても闇龍を――倒すって」








―――そう言って少年はこの城から――歴史上から姿を消す。


















――本当にこの世界を守る価値があったのか?
誰ともない疑問がこの城の地下で未だくすぶっている。




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